タバコ代が痛い・・・・・
最近、仕事でイライラすると、タバコ吸いたくなる・・・・
Marlboroメンソールを吸っている・・・・510円*30日=15300円・・・・
医者では、失敗してるので・・・・行き辛い・・・・
節煙出来れば、生活費1万円増える・・・
チャンピックスです・・・・頑張ります・・・・
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医者では、失敗してるので・・・・行き辛い・・・・
節煙出来れば、生活費1万円増える・・・
チャンピックスです・・・・頑張ります・・・・
根尾と松坂が観れん野球はつまらん・・・
やっぱり、給料1万円足りない・・・・
今年は、ぜひ鈴木君、頑張って欲しい・・・
やっと、録画、録れたよ・・・・
小田和正の2019年版「風のようにうたがながれていた」・・・・
関西地区は、毎日放送4月1日・・・・・遅いよ・・・
早く、4月になって欲しい・・・・
https://www.tbs.co.jp/program/kazeuta2019/
関西地区は、毎日放送4月1日・・・・・遅いよ・・・
早く、4月になって欲しい・・・・
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白鵬・・・引退だな・・・
白鵬重傷か…平成有終Vの代償、右上腕の筋肉「切れてる。駄目だね」/春場所
3/25(月) 5:00配信
42度目の優勝を決めた土俵下で右腕を押さえ、顔をしかめる白鵬。平成最後の場所を飾ったが、その代償は大きいかもしれない(撮影・林俊志)
大相撲春場所千秋楽(24日、エディオンアリーナ大阪、観衆=7242人)横綱白鵬(34)が、平成最後の取組となる結びの一番で横綱鶴竜(33)を下手投げで破り、3場所ぶり42度目の優勝を15戦全勝で飾り、自身が持つ最多記録を更新した。白鵬はこの相撲で、右上腕部に激しい痛みを訴え、表彰式では一人で天皇賜杯を抱えることができず、介添えされる極めて異例の事態となった。負傷の状態によっては深刻な事態に発展する可能性もある。関脇貴景勝(22)は場所後の昇進が事実上、決定した。
時代を締めくくる、結びの一番で衝撃の結末が待っていた。平成最後の取組。右から下手投げを打った白鵬が、勢いのまま土俵下へ落下した。立ち上がれない。ようやく土俵へ戻った横綱は左手で自身の右上腕二頭筋を強く握り、腕は「く」に曲げたまま。硬い表情が異常事態を伝えていた。
支度部屋へ戻った白鵬は開口一番、「(筋肉が)切れてる。駄目だね」。すぐさま付け人に氷を持ってこさせ、患部の右腕上腕部に当てさせると、痛みにこらえきれずに何度も「アー!!」と大声を発した。
鶴竜と左四つ、巻き替えて右四つに。がっぷり四つになって寄って、寄られて残す1分2秒5の力相撲を制した。表彰式。腕は曲げたまま動かせない白鵬は、土俵下で待機していた朝日山審判(元関脇琴錦)に声を掛けて土俵へ上がった。八角理事長(元横綱北勝海)から渡された天皇賜杯には左腕を絡めただけで、朝日山親方が介添えとして抱えた。
平成元年春場所。横綱千代の富士が14日目、大乃国との結びの一番で勝ち27度目の優勝を決めたが、負傷して千秋楽は不戦敗。表彰式では左手首にテープを巻いて腹に固定して登場。賜杯を受け取る際に土俵上の審判が手を貸した光景があったが、それ以上に深刻なシーンだった。
平成13年春場所で大相撲の土俵へ立ち「平成に育てられた」。2場所連続休場明けの場所で42度目、自身の最多記録を更新する15度目の全勝優勝を飾ったが、その代償は大きいものになるかもしれない。
左大胸筋とともに左上腕部を痛めた横綱稀勢の里は出場、休場を繰り返しながら結局、この負傷が完治せず横綱として最多となる8場所連続休場という不名誉な記録を残して引退へ追い込まれた。この教訓に照らせば、長期休場の危機も浮上する。
白鵬が強いこだわりをみせる「平成最後の場所で優勝して、新しい元号の最初の場所で優勝したい」という特別な思いはかなうのか。現存する大相撲最古の勝負付(勝敗記録)は宝暦11(1761)年10月場所。以降、時代の最後の場所と元号が改まった最初の場所で優勝したのは「安永」「天明元年」を制した横綱谷風、「天保」「弘化2年」の横綱秀ノ山の2人しかいない。
白鵬にとって、新元号最初となる夏場所(5月12日初日、両国国技館)が限りなく遠く、かすんでみえる。
3/25(月) 5:00配信
42度目の優勝を決めた土俵下で右腕を押さえ、顔をしかめる白鵬。平成最後の場所を飾ったが、その代償は大きいかもしれない(撮影・林俊志)
大相撲春場所千秋楽(24日、エディオンアリーナ大阪、観衆=7242人)横綱白鵬(34)が、平成最後の取組となる結びの一番で横綱鶴竜(33)を下手投げで破り、3場所ぶり42度目の優勝を15戦全勝で飾り、自身が持つ最多記録を更新した。白鵬はこの相撲で、右上腕部に激しい痛みを訴え、表彰式では一人で天皇賜杯を抱えることができず、介添えされる極めて異例の事態となった。負傷の状態によっては深刻な事態に発展する可能性もある。関脇貴景勝(22)は場所後の昇進が事実上、決定した。
時代を締めくくる、結びの一番で衝撃の結末が待っていた。平成最後の取組。右から下手投げを打った白鵬が、勢いのまま土俵下へ落下した。立ち上がれない。ようやく土俵へ戻った横綱は左手で自身の右上腕二頭筋を強く握り、腕は「く」に曲げたまま。硬い表情が異常事態を伝えていた。
支度部屋へ戻った白鵬は開口一番、「(筋肉が)切れてる。駄目だね」。すぐさま付け人に氷を持ってこさせ、患部の右腕上腕部に当てさせると、痛みにこらえきれずに何度も「アー!!」と大声を発した。
鶴竜と左四つ、巻き替えて右四つに。がっぷり四つになって寄って、寄られて残す1分2秒5の力相撲を制した。表彰式。腕は曲げたまま動かせない白鵬は、土俵下で待機していた朝日山審判(元関脇琴錦)に声を掛けて土俵へ上がった。八角理事長(元横綱北勝海)から渡された天皇賜杯には左腕を絡めただけで、朝日山親方が介添えとして抱えた。
平成元年春場所。横綱千代の富士が14日目、大乃国との結びの一番で勝ち27度目の優勝を決めたが、負傷して千秋楽は不戦敗。表彰式では左手首にテープを巻いて腹に固定して登場。賜杯を受け取る際に土俵上の審判が手を貸した光景があったが、それ以上に深刻なシーンだった。
平成13年春場所で大相撲の土俵へ立ち「平成に育てられた」。2場所連続休場明けの場所で42度目、自身の最多記録を更新する15度目の全勝優勝を飾ったが、その代償は大きいものになるかもしれない。
左大胸筋とともに左上腕部を痛めた横綱稀勢の里は出場、休場を繰り返しながら結局、この負傷が完治せず横綱として最多となる8場所連続休場という不名誉な記録を残して引退へ追い込まれた。この教訓に照らせば、長期休場の危機も浮上する。
白鵬が強いこだわりをみせる「平成最後の場所で優勝して、新しい元号の最初の場所で優勝したい」という特別な思いはかなうのか。現存する大相撲最古の勝負付(勝敗記録)は宝暦11(1761)年10月場所。以降、時代の最後の場所と元号が改まった最初の場所で優勝したのは「安永」「天明元年」を制した横綱谷風、「天保」「弘化2年」の横綱秀ノ山の2人しかいない。
白鵬にとって、新元号最初となる夏場所(5月12日初日、両国国技館)が限りなく遠く、かすんでみえる。
拓郎・・・長生きしてや・・・
声帯にがん再発…吉田拓郎が5年前の闘病を涙で告白
3/25(月) 0:18配信
ニッポン放送の新パーソナリティに決まった管田将暉(左)と3年半ぶりに復帰する吉田拓郎(撮影・酒井清司)
吉田拓郎(72)が24日、パーソナリティーを務めるニッポン放送「吉田拓郎 ラジオでナイト」(日曜午後11時30分)で、14年に、のどにがんが見つかり、闘病生活を送っていたことを明かした。正式名は明かしていないが、声帯にできた異物からがんが発見されたことなどから、喉頭がんとみられる。
【写真】闘病生活を送っていたことを明かした吉田拓郎
吉田は03年に肺がんの手術を行い、肺の3分の1を切除したことを公表していたが、のどのがんを公表したのは初めて。番組では「16年にはよみがえることができました」と、今は治っていることを示唆したが、ファンには衝撃の告白となった。
吉田は番組の後半、「僕がメディア、マスコミとかにずっと話さなかったことをですね、ラジオでお話ししておきます」と切り出すと、03年の肺がんの話題に触れた後、07年から原因不明の体調不良に襲われたことを紹介。
その後、「2014年に、実はこれはまた初めてお話をしますが、僕の声帯、のどの声帯に白板症という異物が発見されたんです。これができると声の質が変わってしまう」と明かした。
吉田は専門医に異物である白板症の切除を勧められ、全身麻酔で手術をしたと紹介。その後、「その異物を取って調べたところ、がんがまた発見されたというダブルパンチを受けてしまいまして。このがんを取った方がいいという診断で、それから、のどにですね、放射線をあてるという、放射線治療が2カ月間始まりまして」と明かした。
毎日病院に通い、毎日約10分間放射線をのどにあてる治療を行ったという。そして治療が終わってから苦痛の日々が始まったという。「数カ月間、この放射線を当てた後遺症というのが残りまして。大変な苦痛を味わうことになって、この間の苦闘というのは言葉で表現するのは非常に難しいんですが、苦しい、非常に苦しい日常だったんです。たとえば食べ物はのどを通らないし、声は出ない、のどが非常に痛い、放射線の治療が終わってもそこから約半年間、苦痛の日々が続きました」。
吉田を支えてくれたのは妻の女優森下愛子。「多分、ぼくはその時、もう歌えない、というふうに何度も思いました。うちのやつが、かみさんがですね、もくもくと日常生活を送りながら静かにぼくを支えてくれて、『必ず完治するから。1日、1日だから』と、ぼくを励ましてくれました」と涙声で語った。さらに「痛みで食べ物がのどを通らないので、毎日おかゆを作ってくれて、苦闘の日々が続きました」と再び、涙で声を詰まらせた。
その後、これまで病と闘ってきたことをあらためて振り返り、リスナーに健康の大切さを語りかけた。「苦しい体験をしましたが、その都度思ったことは人間は心と体が健康なじゃないと、なんにも幸せな気分とか、力が沸いてこない。健康とか、というようなことはむしろ若い頃はどうでもよかったんだけど、それはとてもとんでもないことで、体が健康でないといけない、そして、愛のある日常でなければ、人生が非常に味気ない、これはとても大事なことだということを痛感しました」。
最後は「心でずっと思っていることは、皆さんの健康とか、そういうものを心から願っています。そして、愛情があふれた日常生活を皆さんに永遠に送っていただきたい。そうふうに祈っております」と語った。
番組の序盤では7月10日開催のニッポン放送開局65周年記念の番組イベント「吉田拓郎 ライブでナイト2019 in 神田共立講堂」を明るく元気な口調でPRしていた。
3/25(月) 0:18配信
ニッポン放送の新パーソナリティに決まった管田将暉(左)と3年半ぶりに復帰する吉田拓郎(撮影・酒井清司)
吉田拓郎(72)が24日、パーソナリティーを務めるニッポン放送「吉田拓郎 ラジオでナイト」(日曜午後11時30分)で、14年に、のどにがんが見つかり、闘病生活を送っていたことを明かした。正式名は明かしていないが、声帯にできた異物からがんが発見されたことなどから、喉頭がんとみられる。
【写真】闘病生活を送っていたことを明かした吉田拓郎
吉田は03年に肺がんの手術を行い、肺の3分の1を切除したことを公表していたが、のどのがんを公表したのは初めて。番組では「16年にはよみがえることができました」と、今は治っていることを示唆したが、ファンには衝撃の告白となった。
吉田は番組の後半、「僕がメディア、マスコミとかにずっと話さなかったことをですね、ラジオでお話ししておきます」と切り出すと、03年の肺がんの話題に触れた後、07年から原因不明の体調不良に襲われたことを紹介。
その後、「2014年に、実はこれはまた初めてお話をしますが、僕の声帯、のどの声帯に白板症という異物が発見されたんです。これができると声の質が変わってしまう」と明かした。
吉田は専門医に異物である白板症の切除を勧められ、全身麻酔で手術をしたと紹介。その後、「その異物を取って調べたところ、がんがまた発見されたというダブルパンチを受けてしまいまして。このがんを取った方がいいという診断で、それから、のどにですね、放射線をあてるという、放射線治療が2カ月間始まりまして」と明かした。
毎日病院に通い、毎日約10分間放射線をのどにあてる治療を行ったという。そして治療が終わってから苦痛の日々が始まったという。「数カ月間、この放射線を当てた後遺症というのが残りまして。大変な苦痛を味わうことになって、この間の苦闘というのは言葉で表現するのは非常に難しいんですが、苦しい、非常に苦しい日常だったんです。たとえば食べ物はのどを通らないし、声は出ない、のどが非常に痛い、放射線の治療が終わってもそこから約半年間、苦痛の日々が続きました」。
吉田を支えてくれたのは妻の女優森下愛子。「多分、ぼくはその時、もう歌えない、というふうに何度も思いました。うちのやつが、かみさんがですね、もくもくと日常生活を送りながら静かにぼくを支えてくれて、『必ず完治するから。1日、1日だから』と、ぼくを励ましてくれました」と涙声で語った。さらに「痛みで食べ物がのどを通らないので、毎日おかゆを作ってくれて、苦闘の日々が続きました」と再び、涙で声を詰まらせた。
その後、これまで病と闘ってきたことをあらためて振り返り、リスナーに健康の大切さを語りかけた。「苦しい体験をしましたが、その都度思ったことは人間は心と体が健康なじゃないと、なんにも幸せな気分とか、力が沸いてこない。健康とか、というようなことはむしろ若い頃はどうでもよかったんだけど、それはとてもとんでもないことで、体が健康でないといけない、そして、愛のある日常でなければ、人生が非常に味気ない、これはとても大事なことだということを痛感しました」。
最後は「心でずっと思っていることは、皆さんの健康とか、そういうものを心から願っています。そして、愛情があふれた日常生活を皆さんに永遠に送っていただきたい。そうふうに祈っております」と語った。
番組の序盤では7月10日開催のニッポン放送開局65周年記念の番組イベント「吉田拓郎 ライブでナイト2019 in 神田共立講堂」を明るく元気な口調でPRしていた。