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中庸とは?・・・・2

ここからは、孔子の説いた「中庸」の概念を学ぶ書である『中庸』の内容をみてゆきます。

「中庸」の意義は「天命を知る」

「中庸」を学ぶ意義として「天命を知る」という考え方があります。『中庸』の最初には、まず天命について書かれた一節がありますので、その書き下し文と解説を紹介します。

天の命これを性といい、性にしたがうこれを道といい、道を修むるこれを教えという。
天が人に授けたものが人の本性であり、その本性に自然に従うことを人の道という。人が歩まねばならない道を修めるのが教育である。

人が人として完成するためには、天から与えられた性を育てて向上させる必要があります。道とは目標に到達するための歩みの過程のことです。道を外れると、性を発揮することができません。その道を学問によって学ぶのです。ということを言っています。

『中庸』はこのように天命に従う人の道を説いており、中庸を学ぶ意義は天命を知ることであるといえます。なぜなら、天命、つまり自分が生まれながらにして与えられている生きる意味を知らなければ、進むべき道もつかむことはできず、踏み外してしまうからです。

天命を知れば道がひらける
孔子は、自分自身を知ることの大切さを次のように説いています。
ただ天下の至誠のみ、よくその性をつくすことを為す。よく人の性をつくせば、すなわちよく物の性をつくす。

もっとも至誠のある人のみが、自分がどのような人間であるのかを知っている。自分の個性を知れば、他人のこともよくわかり、それを発揮させようとする。そうすると、万物の性もよくわかるようになる。

ここでいう「至誠のある人」とは、儒教がめざす最も完成された人である「聖人」を指します。「誠」も中庸の徳の概念ですので次に説明します。

「中庸の徳」の根幹は「誠」

「中庸」の哲学の根幹に「誠」という概念があります。「誠」とは、自分にとっても、他人にとっても、嘘偽りのない心、つまり「真心」のことです。孔子は、嘘偽りのない心こそが天の道であると説いています。誠について書かれた次の句を紹介します。

誠は天の道なり。これを誠にするは、人の道なり。誠は勉めずして中(あた)り、思わずして得、従容(しょうよう)として道に中るは聖人なり。これを誠にするは、善をえらびて固くこれを執る者なり。

誠というものは天の道である。天の道を素直に受けるのが人の道である。真に誠の人は、特に勉強したり思索したりしなくても正道を得ることができる。ゆったりと構えて道をすすむのが聖人というものだ。誠の人となろうとする者は、善の道を選んで、それを固く守るものである。

この「従容として道に中るは聖人なり」の境地を表したのが、『論語』にある孔子の有名な言葉「七十にして心の欲するところに従えどものりをこえず」なのです。

孔子は十五歳のときに立派な人間になることを決意して学問を始め、七十歳にしてようやく、自分の思うままに言動しても道理に背かないものになった、と言っています。

このように、自分の思うままにふるまっても道徳を外れることがない、自由な境地を獲得することが、『中庸』を学ぶ目的であるといえます。






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