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中日・松坂、12年ぶり勝った!みんな待ってた日本お帰り星


5/1(火) 7:00配信

サンケイスポーツ


力投する松坂。変化球を内外角に投げ分け、DeNA打線をほんろうした(撮影・塚本健一)


 (セ・リーグ、中日3-1DeNA、6回戦、DeNA5勝1敗、30日、ナゴヤD)中日・松坂大輔投手(37)がDeNA戦(ナゴヤドーム)に先発し、6回3安打1失点で今季初勝利(2敗)を挙げた。日本では西武時代の2006年9月19日のソフトバンク戦以来4241日ぶりの白星をつかみ、日米合計で165勝となった。神奈川・横浜高時代に甲子園で春夏連覇。西武では3年連続で最多勝。米大リーグのレッドソックスに移籍した07年はワールドシリーズ制覇に貢献するなど栄光の道を歩んできた一方で、右肩の故障に苦しんだ「平成の怪物」が、新天地で復活への一歩を踏み出した。

 涙はなかった。勝利の瞬間を見届けた松坂は誰よりも早くベンチを飛び出した。森監督と抱き合い、ナインからハイタッチで祝福された。遊撃手の京田からウイニングボールを受けとると、ニッコリとほほえんだ。

 「きょうは母親の誕生日です。母には勝利というプレゼントで、このボールは(米国に在住している)妻(倫世さん)と子供たちに渡します。僕はこれまで執着心はなかったが、今回は特別なものですから」

 母・由美子さんの64歳の誕生日だった。日本では西武時代の2006年9月19日のソフトバンク戦以来12年ぶり、4241日ぶりの勝ち星。「それもうれしいがチームの連敗を(4で)止めることができてうれしい」。今季最多の3万6606人で埋まったスタンドは拍手と歓声で揺れた。

 6回114球を投げて3安打1失点。三回、戸柱をバットをへし折って遊飛に抑えた直球はこの日最速の147キロを計測した。制球に苦しんで8四死球。毎回走者を許したが「四球を出すのは僕らしくていいんじゃないですか」。3-0の五回二死満塁で宮崎に与えた押し出し四球が唯一の失点となったが「長打を打たれるよりは押し出しでもいいと思った」とマウンドでは冷静だった。

 15年にソフトバンクで日本球界復帰も同年夏に右肩を手術。3年間で1軍登板は1試合。グラウンドにいるより飛行機や電車に揺られている時間のほうが長かった。同じようにけがに悩み、復帰した同世代の阪神・藤川と頻繁に連絡を取り、肩肘のケアについて情報交換。全国の病院を訪れて専門医の意見を聞き、リハビリを続けた。

 「3年間まともに投げられなかった。こうやって試合を任せてもらえるのは幸せなこと」

 3月中旬のオープン戦の福岡遠征。松坂は筑後にあるソフトバンクの2軍施設を訪れた。「同じ右肩痛で苦しんでいるホークスの選手にリハビリの方法などを教えてあげている。同じ痛みで苦しんでいる野球少年、高校生もいっぱいいる。僕がしっかりとした姿を見せて彼らの先駆者になりたい。それをモチベーションに投げている」。

 横浜高では甲子園で春夏連覇。プロでも栄光を手にして「平成の怪物」と呼ばれた男が、地獄から這い上がった。

 「僕の年齢に近い人は(自分を)わかると思うが、小さい子は僕のことがわからない人が多いと思う。これからもヒーローインタビューやテレビに出て、小さい子に名前を覚えてもらえるように頑張ります」

 37歳の3児のパパはお立ち台から叫んだ。日米通算165勝目をあげた18年4月30日、新たな“松坂伝説”が始まった。




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