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また、余計な事したかな・・・?

6年前、今のマンションに越してきた・・・・

吃驚したのは、夜、真っ暗・・・・
常夜灯も蛍光灯も、みんな切れてる・・・・
早速連絡した・・・・・すぐ直ったよ・・・3階建て1フロア4室、12世帯の小さなマンション

でも、今日、1階の蛍光灯切れてる・・・・早速、電話・・・・

今度は、最近、分電盤を間違ったのか?昼も1日中、蛍光灯点いてる・・・・
電気代勿体ないやん・・・・・

そしたら、すぐ飛んできたわ・・・・

最近、隣室の若夫婦に赤ちゃん・・・・すぐ引っ越して行ったわ・・・なんせ1LDK
老夫婦が入れる、せいぜい2人住まいなのだ・・・

私は、存分に有効活用してる・・・気に入ってるよ・・・
早速、隣室、改装工事屋が来てるから、今は空き家・・・・・

ガンガンspitzの音楽、かけてるよ・・・・



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もう、日本検察庁も、無茶苦茶・・・・

検察庁法改正案、採決持ち越し 衆院内閣委 与党は来週衆院通過目指す
5/15(金) 16:18配信


国会議事堂=本社ヘリから佐々木順一撮影
 検事総長らの定年延長を特例的に可能にする検察庁法改正案など関連法案は15日の衆院内閣委員会で審議されたが、この日は採決されず、来週以降に持ち越しとなった。野党は採決に反対していた。

【「強行採決やめろ」国会前で無言の抗議】

 与党は来週中に採決し、衆院を通過させたい考えだ。



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国内の支持者に向けて中国への強硬姿勢を示す・・・・

2020年5月15日 10時24分新型コロナウイルス

新型コロナウイルスをめぐってアメリカと中国の対立が激しくなる中、トランプ大統領はテレビ局のインタビューで「すべての関係を断つこともできる」と強い言葉で警告し、国内の支持者に向けて中国への強硬姿勢を示すねらいもあるとみられます。

新型コロナウイルスの世界的な感染拡大についてアメリカは、中国による隠蔽が原因だと批判を強めているのに対し、中国は根拠のない主張だと反論し、激しく対立しています。

こうした中、トランプ大統領は14日に放送されたFOXビジネスネットワークのインタビューで、中国の習近平国家主席と話したかと問われると、「習主席と関係は良好だが、今は話したくない」と述べました。

さらに中国への対応について「われわれができることはたくさんある。すべての関係を断つこともできる」と述べ、強い言葉で中国を警告しました。

また、ウイルスの発生源をめぐっては「研究所からであろうが、コウモリからであろうがウイルスは中国からきたものだ。その発生源で止めるべきだった」と述べ、世界中で感染が拡大した責任は中国にあると改めて批判しました。

新型コロナウイルスをめぐっては与党・共和党から中国に責任をとらせるべきだという声が相次いでいて、トランプ大統領としては共和党や支持者向けに中国への強硬な姿勢を示すねらいもあるとみられます。


https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200515/k10012430971000.htm




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コロナ長期戦ですね・・日本も、ナイトクラブ長期休業だな・・・

【ソウル聯合ニュース】韓国の防疫対策本部は15日の記者会見で、ソウル市の繁華街・梨泰院のナイトクラブで発生した
新型コロナウイルスの集団感染に関係する感染者数(同日午後0時現在)が153人に増えたと発表した。同日午前0時の時点より5人増加した。

韓国当局は全国で2次・3次感染が確認されているとして、検査と疫学調査に積極的に協力するよう呼びかけた。

153人のうちクラブの訪問者は90人で、残り63人は感染者の知人や家族、その関係者という。 

ソウル郊外の仁川市ではクラブを訪れた塾講師の感染者から生徒が感染し、 
この生徒の家庭教師も感染が確認されるなど2次・3次感染が相次いでいる。





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俺、脂肪肝みたい・・・この半年で8kg増えた・・・・

健康診断でもおなじみのとおり、肝臓の数値はGOT、GPT、γ-GTPの3種。GOT、GPT、γ-GTPが基準値以内で、γ-GTPが基準値を超えていたら「飲みすぎ」による脂肪肝のサインです。お酒が好きな人は特にγ-GTPを気にしますが、お酒を飲まなくてもγ-GTPが高い人も存在します。何を改善すればよいのでしょう。書籍『薬を使わずに「生活習慣病」とサヨナラする法』を出版した総合内科専門医の秋津壽男氏が解説します。
「食べすぎ、飲みすぎ」をやめると 脂肪肝は劇的に改善する
 脂肪肝とは、肝臓に脂肪が過剰に溜まっているという症状。
 肝臓の数値はGOT、GPT、γ-GTPの3つですが、なかでも脂肪肝の目安となるのはγ-GTP。基準値は、男性で70U/L以下、女性で40U/L以下です。



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夕食宅配は、16:30にやってくる・・・・・

「stay home ・・・・は、結構、腹が空くのよ・・・・・
少しダイエットしようかな・・・・

昼食・夕食前に、少し甘い物を食べると大丈夫よ・・・・
龍角散アメでも、効果あるよ・・・

1日5食から3食に戻そう・・・・・





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俳優が、馬鹿ばかりだとは、限らない・・・・

東京高等検察庁の黒川弘務検事長の定年を延長する閣議決定を受け、自民党が検察庁法改正案の審議を5月8日に強行した。

 一連の政府の動きに真っ先に抗議の意思を示したのがSNSユーザーだった。5月9日から10日にかけて、「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグをつけた投稿がツイッターを中心に拡大。

 5月10日には、俳優の井浦新(45)、浅野忠信(46)、演出家の宮本亜門氏(62)などの著名人も続々と声を上げ、その勢いは増し、小泉今日子(54)が代表を務める「株式会社明後日」のアカウントも「#検察庁法改正案に抗議します」のハッシュタグを付けて投稿。ネット上で同じハッシュタグの投稿が100万件を超えた時点で「1.000.000超えました。この目に焼き付けました」などと、7回のツイートを展開。

■キョンキョンは「森友問題」にも関心

「新型コロナウイルスで社会が混乱している中、どさくさ紛れといったタイミングで検察庁法改正案を通そうとする安倍政権に対し、多くの著名人が抗議の声を上げましたが、若者のファッションアイコンであるきゃりーが政治的発言をしたことに驚いたファンも多かったのでしょう。

 同じく声を上げた小泉今日子は“アベノマスク”についてツイートしたりと、以前から“反安倍”の姿勢を表明しています」(夕刊紙記者)

 4月22日、小泉は「株式会社明後日」のアカウントで「アベノマスクの不良品を政府、公表せずというニュースをリツイートし、「人間だから間違えや失敗は誰にでもあるだろう。一生懸命やった結果だったら人はいつか許してくれるかもしれない。でも汚らしい嘘や狡は絶対に許されない。カビだらけのマスクはその汚らしさを具現化したように見えて仕方がない」と、安倍政権を真っ向から批判している。

 同日、安倍晋三首相が東京五輪延期にともなう追加費用を負担することに合意したという問題で、東京新聞の望月衣塑子記者が「コロナで経済が悪化してるのに、日本にオリンピック費用をそんなに負担できる訳がない。巨額な日本の負担は国民への税金に跳ね返る。これなら開催を見送るべきだ」とツイート。小泉はこのツイートに対しても「まったくそうだ」と同意していた。

 小泉は5月13日深夜にも、自民党の泉田裕彦衆院議員が「強行採決なら退席する」とツイートしたのち、「内閣委員をはずされることになりました」とつづった投稿を引用して「#泉田裕彦議員を応援します」とツイートしている。

「小泉は“森友問題”にも関心を寄せていて、2018年に投稿された同問題に抗議するデモを呼びかけるツイートに“いいね”をしたこともあったようです。アメリカでは芸能人が政治に対して意見を述べることは当たり前ですが、日本では芸能人が政治的意思を表明することにはリスクが伴います。それでも“反安倍”の姿勢をつらぬく小泉には意志の強さを感じますね」(前出の夕刊紙記者)

2020.05.15 08:00 公開




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最後の夏だけでも3年生に試合をさせてあげたい・・・・

2020年5月15日 3時0分

 今夏の第102回全国高校野球選手権大会(8月10日開幕予定・甲子園)を主催する日本高野連と朝日新聞社が、新型コロナウイルス感染拡大の影響で同大会を中止する方向で最終調整に入っていることが14日、分かった。今春のセンバツも中止となっており、開催を求める声が現場、ファンからも上がっているが、選手らの健康と安全を最優先したとみられる。20日の大会運営委員会で正式に決定する見込み。夏の甲子園の中止は、米騒動の1918年、戦局が深刻化した41年に次いで79年ぶり3度目となる。

 最後の夏を迎える3年生部員のためにも、開催の可能性を模索していた夏の甲子園大会が、今春のセンバツに続いて中止となる公算が大きくなった。関係者の話を総合すると、選手や関係者の健康、安全を最優先に考え、20日の大会運営委員会で苦渋の決断を下すことになりそうだ。

 開催に向け、最もネックとなったのが日程面。関係者によると、当初は今月6日までとされていた緊急事態宣言が延長されたことが大きいという。大半の学校が3月から続けている活動休止によるブランクが延びる一方で、7月上旬から本格的に開幕する地方大会までの準備期間は短くなった。

 万全ではないコンディションで臨んだ場合、熱中症など健康面の不安が強まる。感染リスクも、減らすことはできてもゼロにはできない。選手の安全を担保できないと判断した模様だ。甲子園大会と同時期に開幕予定だった全国高校総体(インターハイ、8月10日)と全日本大学野球選手権(同12日)が中止を決めたことも影響したとみられる。

 この日に39県の緊急事態宣言が解除されたが、日本高野連の小倉好正事務局長(62)は書面による代表取材に対し「休校措置の解除、部活動の開始、対外試合の取り扱いなど、各都道府県の情報収集に努めたいと思います」とコメントするにとどめた。

 一方で、中止になった場合、大会主催者は、都道府県高野連に対し、可能であれば地方大会に代わる公式戦を無観客で開催するように要望する見通し。すでに東京や三重などでは、代替大会の開催が検討されているが、本大会がなくなることで代替大会を8月下旬まで行えるようになり、準備期間を長く取れることになる。

 高野連では、代替大会の開催ガイドラインも作成中。春季大会が全国的に中止になるなど、準々決勝まで県大会を開催した沖縄以外は、今年は1試合も公式戦ができていない。「最後の夏だけでも3年生に試合をさせてあげたい」という声に応えられる可能性が高まる。甲子園がなくなっても、球児に晴れ舞台をつくるべく、できる限りの準備を進めている。

 ◆過去に中止となった甲子園大会(夏は当時の名称が中等学校優勝大会)

 ▽1918年夏(大正7年、鳴尾球場で開催) 第4回大会は、富山県に端を発した米価高騰に伴う暴動、いわゆる米騒動が全国に波及。代表14校が決定し、大阪入りしていたが中止に。14校にこの大会出場歴はカウントされている。

 ▽41年夏(昭和16年) 第27回大会は戦局が深刻化。文部省次官通達で全国的な催しが禁止され、地方大会半ばで中止に。翌42年春から46年春までは中断され、46年夏から再開。

 ▽2020年春(令和2年) 第92回大会は新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、3月4日に史上初の無観客開催で準備を進め、中止も視野に入れて1週間後に最終決定すると発表。開幕8日前の11日にセンバツ史上初の中止が決まった。






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抗体保持者は東京わずか0.6%。流行はまだ来てないだけ・・・・・

岡田教授「献血血液で調べると抗体保持者は東京わずか0.6%。流行はまだ来てないだけ」


★2020/05/15(金) 15:31
・加藤勝信厚生労働相が閣議後記者会見で、献血された血液で新型コロナウイルス感染後にできる抗体を調べたところ陽性率は東京都の500検体で0.6%、東北6県の500検体では0.4%だったと明らかにした

・これを受けて元国立感染症研究所研究員で白鴎大教授の岡田晴恵氏は、「500人ですから即座に断言はできないですが東京都なら99・4パーセントの人がかかっていないということです」とし「ですから、まだ流行は来てない」と解説した

・「このデータをどう読むかと言えば、99パーセントかかってないことは、たぶん秋冬、低温乾燥の11月以降に非常に大きな山になる可能性が危惧される。そういうことがあることを見越して政策を立てないといけないということ」と解説し「かかったことがない免疫がない人がたくさんいる場合には、医療確保が難しければ検査をたくさんやってそもそも医療に入る前に隔離するとかの議論を積極的にやらないと医療が持たない可能性があって心配がある」と指摘

https://news.infoseek.co.jp/article/hochi_20200515-OHT1T50052/



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現職の裁判官がメディアに出演し、政府を批判するのは極めて異例・・・・

国会で審議されている検察庁法の改正案について、仙台高等裁判所の裁判官が13日、民放のラジオ番組に出演して批判しました。現職の裁判官がメディアで政府を批判するのは極めて異例です。

仙台高等裁判所の岡口基一裁判官は13日、KBS京都のラジオ番組に電話で出演し、検察庁法の改正案について、およそ45分間にわたって自身の見解を述べました。

この中で岡口裁判官は経緯を解説したうえで「検察官が内閣の顔色をうかがいながら仕事をするようになると危惧される。法解釈の変更を口頭の決裁で済ませるなど、まともな法治国家とは言えない」などと批判しました。

中立性を求められている現職の裁判官がメディアに出演し、政府を批判するのは極めて異例です。

岡口裁判官はNHKの取材に対し「法案が大変複雑なため、内容を正確に理解したうえで議論してもらいたかった。裁判官が積極的に政治運動に参加することは許されていないが、法案の問題点を説明することは禁じられていない」と話しています。

岡口裁判官はこれまでも著書やSNSで積極的に情報発信を行っていますが、おととしには、ツイッターへの書き込みで裁判官の品位をおとしめたとして、最高裁判所から戒告の懲戒処分を受けました。




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どうすれば、アホノミクス内閣に、国民の声届く?

政府の判断で検察幹部の定年延長を可能にする検察庁法改正案をめぐり、
ネットを中心に急拡大する批判から政権・与党が目を背けている。
SNSへの投稿の信用度に疑いの目を向け強硬姿勢を崩していない。一方の野党は、世論のうねりと受け止め抵抗を強める。

ネット上で9日夜から広がった「#検察庁法改正案に抗議します」とのツイッター投稿は12日も拡大を続け、
投稿数は数日間で600万~700万件に上った。

だが、改正案の早期成立をめざす政権・与党内では、批判を正面から受け止めない言動が相次いだ。
安倍晋三首相は12日の衆院本会議で「インターネット上の様々な意見に政府としてコメントすることは差し控える」と述べるにとどめた。

首相周辺は「日本人の20人に1人とかおよそあり得ない数字」と素っ気ない。政府高官も「世論のうねりは全く感じない」。

自民党の森山裕国会対策委員長は記者団に「多くの国民が関心を持っていることは分かるが、600万だったかは知るよしはない」と、
ネット世論への疑義を語った。

著名人の投稿も相次いでいるが、
自民幹部は「いまから芸能人が反対したところで法案審議は止まらない」と話す。

自民内では「『勝手は許さない』と国民が圧力をかけている。私たちはそれに応える義務がある」(石破茂元幹事長)と、
慎重審議を求める声もあるが少数派だ。
直近の世論調査で内閣支持率が大きく変動しておらず、自民は週内にも法案の衆院通過をめざす考えを変えていない。

https://www.asahi.com/articles/ASN5D71YCN5DUTFK00M.html




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にったペインクリニック通院してきました・・・

1週間に1度、金曜日です・・・・

私は、肺動脈血栓塞栓症で、イグザレルト錠を常用してます・・・・
これは、血液をさらさらにする血栓を溶かす薬です・・・・・
もう1錠食後に、ジピリダモール・・・・・これも、血液さらさらにするくすり・・・

でも、ペインクリニック通院時前2日間は、ブロック注射で、止血しなく成ると医療事故
になります・・・・

昨夜は、暑くて、上半身裸で、寝てしまいました・・・朝、窓開放してるので
少し、寒かったです・・・・

今日で5回目のブロック注射・・・・
どんどん、足腰がしっかりしてきました・・・・
あと、2回、今月中に目途がつきそうです・・・



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瑞宝会の地道な活動・・・・・・

私は、1974年か75年に、関西本部の運動会に参加するために、来させてもらいました。
 そのころのGLAは、本当に楽しかったです。
 私が、その頃、名古屋の中京部のT事務局長から、聞いた話ですが、信次先生は、「自分の過去世は、本当に釈迦なのかなあ。」と迷われていたそうです。
 信次先生から、「自分は地球に生まれるのは初めてです。真のメシアで、エル・ランティと方がおられます。」という話をお聞きしたとき、「ああ、このことだったんだ。信次先生は、エル・ランティだったのだ。」と、疑問が解けたのでした。
 信次先生が昇天されてから、40年以上も、この正法の教えをずっと護持してこられたことは、信次先生もお喜びのことと思います。
 私も、先生が亡くなられてから、高橋佳子先生に、ついていくことができませんでした。
 信次先生は、私たちの使命は、現在、地球救済計画の最終段階で、地球をユートピアに導くことだとおっしゃっておられました。
 ユートピアを実現するために、何か特別な活動をする必要はないです。
 自分の心の中に、ユートピアを創ることです。
 地球の人類のすべての心の中に、ユートピアができれば、地球のユートピアが実現します。
 その使命を果たしていきましょう。
以上のような話を、させていたかいました。
続いて、N事務局長、Y本部長のご講話をいただきました。

集会が終ってから、Y本部長が近づいてこられて、「何故、中京本部の他の仲間と一緒に、佳子先生の総合本部についていかなかったのですか?」と聞かれました。
「丁度その時、名古屋の中京本部から、横浜の青年部に移ったところだったので、一時的に名古屋の仲間とは別れました。夏休みに、中京本部に戻ったら、以前とは全然雰囲気が変わっていました。」
「横浜の青年部はどうでした?」と聞かれたので、正直に、「横浜の青年部では、霊道を開く(過去世の言葉を語り出す)人が沢山出たのですが、総合本部から、『今霊道を開いているのは、すべて悪魔の仕業です。』といわれました。それで、GLAを離れることになりました。」とお答えしました。
Y本部長は、苦笑いをされました。

GLA関西本部の前身であった「瑞宝会」は、一つのの宗教法人でした。「瑞宝会」が、GLA関西本部に名称を変えたとき、GLA総合本部とは、合流しないようにと、信次先生に指示されたそうです。道理で、GLA関西本部という、当時のままの名前が、残っていたのでした。
そして、当時のN元本部長の後継者として、K氏(前本部長)を後継に指名されたそうです。
信次先生は、ご自分が昇天された後、GLAが分裂していくことを、予見されていたのだと思いました。

先生がお亡くなりになり、40年以上が経ちました。確かに、関西本部の方たちは、ご高齢になりましたが、地道に正法の道を外さず、歩んで来られました。
そして、霊道を開いた方が数多くおられることは、この物質文明の末法の世の中にあって、奇蹟のようなことです。
経験談を話し終えたとき、司会の方が、「いらっしゃいませではなく、お帰りなさいでしたね。」と、機転の利いた言葉を、おっしゃいました。
確かに、お帰りなさいですね。私は、関西本部の方たちに、本当に温かく迎えられました。
GLA関西本部は、新たな自分の居場所となりました。
私は、GKLA関西本部と、名古屋支部の数多くの仲間が、一度にできました。
この仲間たちと共に、高橋信次先生が説かれた正法の輪を、40年前のように、広げていけたら嬉しいですね。




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GLA関西本部・高橋信次師講演会・・・・8

般若心経の解説(8)

(前号より)

心行を書き終わった時に、実在界(あの世)から光の天使たちが出て参りまして、読んで聞いてもらったところ、「お前は四十二年間本当に親不孝者だった。神を忘れ、自分の使命を忘れ、金儲けからあらゆる悪い事をしておった。こんな野郎は見たことがない、一緒にキャバレーや料理屋にも度々行かせてもらったけれども、お前のような勝手な男はなかった。しかし、親不孝な子供ほど可愛いもんだよ。四十二年間付き添ったけれども、こうやって悟ってしまえば、もう私たちには用がなくなった。寂しいものだ」と言っていました。天上界の人たちの親心というものは、この地上界よりもっと微妙なものです。光の指導霊たちは、「そんなことでもう俺たちの手を借りなくとも、お前は一人歩きが出来るだろう」と。これが日本語で喋ってくれるのならもっとわかるのですが、何しろヘブライ語かイスラエル語かわからない言葉でペラペラ喋られるから、気分は半減しますけれども、しかし、やはり私の心に響いてくるものは同じです。そこで私の書いた心行を見て「そうだ、そうだ、神理はこれ以外にないんだ。人間は間違っている、神の子としての自覚をしてもらいたい。自分の心の中でよく消化し、消化した時には偉大なる内在された智慧が、皆さまの過去世である転生輪廻を続けてきたところの心の宝庫が開かれるんだ」と言われたのであります。 その時に初めて、ワン・ツー・スリーことモーゼだと本名を知らされたのです。どこかで聞いたことのある人だと思ったら、パアーッと姿が現れ、二メートル以上の大男です。数百年前のエジプトの格好をしております。

フォアイシン・フォアイ・シンフォーといわれる難しい名前の方は、かつて二千年前、イスラエルの地において人々の心に偉大なる愛の道を説いたイエス・キリストの分身だと名乗りました。私はその時に驚いてしまいました。まさかそんな偉い人が私の所なんかに出てくるわけがない。ところが、いろいろな事を教えてもらいますから、これにはどうすることも出来ません。私一人なら私は否定して黙っておりますが、しかし、いろいろと周囲の人たちが私と同じように他国語を喋り始め、また現象も出て参りました。私はそのようなものはあまり信じない男なんですが、こうしてすでに皆さまの前で神理を説いている間に、この中からも心の窓を開かれる人たちが出て参りました。これは否定できません。
なぜそうなるのでしょう。皆さまも神の子であるからです。そうして心の窓が開かれた時には、もっと偉大なる不滅の世界の存在があるということを知らなくてはならないからです。同時に私たちが多くの人々に偉大なる神の子として道を説く時、その中から真に心が調和されている人たちは、我々の神理は正しいのだと、自分の10パーセントの声でなく、過去世で学んだ神の子としての道を悟った人たちが現れ、立証を与えていくからです。聖書の中にも、イエスの弟子たち、パウロをはじめとして十何人の弟子たちが心の窓が開かれて、今世で学ばなかった言葉や、当時の模様を彼等は語り出し、多くの人々にその道を説いたということがハッキリと記録されています。

仏教の中の華厳経十地品の中にも、ゴーダマ・シッタルダーの出られた当時に多くの人々の心の窓が開かれて、あらゆる国々の言葉を喋り、私は何処で生まれ、このような事をして、ここで死に、そしてまたここで生まれて、このようにしているということが、心の窓の開かれた人々によって語られたことが記録されております。今、我々の現象は、この地球上において二千年ぶりに起こっている現象です。そのために今後も我々のグループの中から、心の窓が開き、その使命を自覚した人がたくさん出てくるでしょう。
それは、それぞれが神の子としての自覚に立っているために、実在界より皆さまが出てくるときには、多くの人々を救済しよう、愛と慈悲の道を説いてこようと思い約束した人々が、類は類を呼び、友は友を呼ぶ法則にしたがって集まってくるからです。すでに我々の周囲には、更にまた何十何百という教団が同じような方向に転回しつつあります。大阪で最初の同じグループが転回しております。次々に関西、関東、或いは九州方面へと、そして更にまた、一つ海を越えて沖縄、中華民国(台湾)、アメリカ、南米にも火の手が上がり始めております。

皆さまの心の中には、正しいものとそうでないものの記録が全部載っており、それを各人の10パーセントの意識で、善なる意識で選択していくのです。人間は思想とか、或いは権力によって肉体の行動は制約できても、人間の普遍的な魂まで押さえることは出来ないのです。心は自由であり、誰もが束縛することの出来ない偉大なる生命です。
そのようなことを知った時に現代の社会を修正する道は、混乱した世の中を救う道は、一人ひとりの人間が魂の普遍的尊厳性を悟って、人間らしく生きる。これを自覚した時に世の中は平和になっていくのです。
アメリカはその軍事力と科学にものをいわせ南ベトナムの統一を電子計算機によって弾き出しておりました。しかし、あのコンピュータによってすら南ベトナムの人々の心を掴むことは出来なかったはずです。人の心は暴力や金や地位の力や、また思想によってコントロールすることは出来ないのです。善なる己の心が正しい道に導いていった時に本当の平和が来るのです。
そういう面を通して、般若心経の更に一歩前進させた神理である『心行』を書いたのであります。

(おわり)




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GLA関西本部・高橋信次師講演会・・・・7

般若心経の解説(7)

(前号より)

この地上界にあるもの、万生万物はすべて輪廻を繰り返しております。例え悟った人なりと言えども、永遠の輪廻の中の過程にあるのですが、その輪廻の苦しみから解脱して、あの世もこの世も自由自在に見る能力を持ってしまうために、現象界において苦しみに見舞われることもなく、生老病死の原因を知っております。そこで宇宙は一つ、宇宙即我の心境であり、自分自身に足ることを知っているので、所得の有無に左右されることがない故に、悟られた方たちは般若波羅蜜多、内在されたる偉大なる智慧を悟っているために、心の中は無罣礙である。引っ掛かりがない、引っ掛かりがないから自分の心の中にも生活の中にも恐怖することは何もない。夢のような間違った考え方をすべて遠く離している。遠離している。いつ死んでもよい、一日一生という神理を自分自身が悟ってしまう。執着というものが何一つない、涅槃の境地なのです。

過去、現在、未来におけるところの、それぞれ悟られた諸仏は、このようなパラミタという内在された九〇パーセントの潜在意識・偉大なる智慧を過去世で体験し、己の心に記録している。即ち、次に出てくる阿耨多羅三藐三菩提。これは一切のものから解脱して、神の心と調和されている最終段階の悟りの境地をいいます。これをインドの言葉では、アーヌクタラー・サンミャク・サンボデーと言うのです。
その境地は、偉大なる智慧の泉である大神呪であり、そうして光に満ち満ちた神の世界、大明呪であるというわけです。したがって、もうここまで来ると比較するものがない、これ以上のものはない、無等等呪である。このように我々は内在された偉大なる智慧を涌現して、アボロキティ・シュバラーとなるが、それには般若波羅蜜多という神理に到達する道を理解し、行うことです。

衆生よ、悟りの彼岸に到達しようということで、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆呵。と、しょせん呪文を唱えれば幸福になる、もうこの辺から当時の玄奘三蔵も違ってきたようです。こんなものではないのです。呪文を唱えなくともよいのです。このような神理を知って実践をする生活が大事なのです。日蓮の南無妙法蓮華経を拝めば幸せになる、日蓮はそのようなことは教えなかったけれども、後の者がそのような方向に持っていってしまったのです。
人間というものは、いろいろわからないと我流の知恵で自分たちの都合のよい方に変えてしまったと言えるでしょう。呪文のぎゃていぎゃてい……云々とは、インドの当時の言葉では、カーティ、カーティ、パラーカーティ、パラサンカーティ、ボデースバハーと言っておりました。一切衆生よ、迷いの岸から悟りの彼岸に到達して、仏の境地と調和されて、一切を成就しようと、このようになるのです。
人間は拝むことではなく、その心理をよく知った日常生活をすることで、心が本当に神の心、仏の心と調和された時には、本当の安らぎが出てきて、内在する過去、転生輪廻した皆さまの偉大な体験された宝庫が、そして、仏性が心の中にあるんだというのが般若心経です。

私は、般若心経というものを実は知らないんです。知らない人間が皆さまの前で教えているのは、私はあの世を通して教えを乞うているからです。そのためにみなわかってしまいます。専門の方が聞けばなおよくわかると思います。
そこで私は、ここに心経(現在は心行と言っています)というものを書きました。私自身、全く仏教とか神様には縁の薄い男でしたが、自然科学の中から“神理”を三十数年間追い求めてきて、最終的にはこの問題に到達致しました。それまで私は、あの世を通していろいろ厳しいことを言われ、三日間で悟れというのです。昭和四十三年七月十二日、三日目の最終日「自分はもう死んでもよい、地位も名誉も金も一切何もいらんと、今まで苦しめた悪魔よ、出て来い。私は命も執着も捨てた」と、肚を決めました。その前の一週間というものはほとんど「お前は死んでも、地球上の果てまで逃げても、宇宙の彼方へ行っても、俺は捕まえてやるぞ。死ぬなら死んでみろ」と徹底的に叱責されていたのですが、こうして自分自身が実在界(あの世)を通して光の天使から厳しく毎晩付いて回られて、苦しみ抜いた末、遂に自分自身というものが神の子であり、その使命を果たさねばとの自覚を得たのであります。

その後、十月までに神理を書けと指令がありましたが、私は電気屋です。電気の事ならよくわかりますが、神と称するものやお経というものは全くズブの素人です。それがいつの間にか自然と書かされるようになりまして、ワン・ツー・スリー、またはフォアイシン・フォアイ・シンフォーと言われる上段界の光の天使たちが、常に私の所に付きっきりです。ペンを持てば自然と手が動いてしまいます。そこで『大自然の波動と生命』という本を書きました。これを書きました時に、“中のエキスをお前は作り出せ”と大自然の波動と生命の中の生命論の内部を凝縮したものが、この「心行」なのです。

(次号へ続く)


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GLA関西本部・高橋信次師講演会・・・・6

般若心経の解説(6)

(前号より)

当然、魂、船頭さんは若い気持ちでも、肉体がいうことを利かないから、仕方がないと思っているだけです、そうですね。このようにあの世へ行った時には今皆さんが思っている心の意識年令、これがあの世なんですよ。イエス様でも、あちらへ行きますと若いですね。ちょっと計算していきますと、二千何百才になるはずです。ところが事実は四十才代です。モーゼも同じです。観世音菩薩、弥勒菩薩も、やはり三十一才~三十五才くらいです。ですからあの世へ行ってみるとみな若いんです。ただいろいろな状態で年寄りの格好ならよいと思って生活している人もあります。
そういうことで、あの世は年をとって死ぬことも尽きることもない、不生不滅だから当然のことです。即ち、苦集滅道も生老病死もない。こうした意味で般若心経は、人間の生命という問題を解いているわけです。

般若心経で問題な点は五蘊。つまり、眼・耳・鼻・舌・身がすべての苦しみを作っていることですが、ではその苦しみから解放されるにはどうしたらよいのかというと、この中には書いていないのです。このため、神・仏様の前で般若心経を毎日一生懸命上げたり拝むことが、即自分たちが救われるんだと早合点してしまうのですが、こういうような人たちは何にもわかっていないということになります。この中にも何人かいますけれどもね。まあ、このように我々の魂の永遠性というもの、この地上界に出てくる苦しみというものは一切、我々が自分自身で作り出していることを知るべきであります。

ところで、人間はなぜこの地球上に生まれてくるのでしょう。それは皆さま自身が転生輪廻を繰り返してきて、心に記録された不調和な面を自分自身がよく見つめて、“自分にはこのような欠点がある”ということを知り、それを八正道という中道の尺度を通してその欠点を直そうと決心をして生まれてくるのです。それにはまず勇気と努力、そしてその欠点を超えてゆくにはどうするかという工夫を凝らすことがなければ、心の修正は出来ません。即ち、カルマ(業)の修正であります。このようにして我々は、地球上の人類が本当に心と心が通い合った、神の子としてみな兄弟であるとの自覚が芽生えてくるのです。
ところがこの地上界に出てくると、その国の思想とか環境に振り回されるから、自分というものがわからなくなってきます。井の中の蛙大海を知らずで、ついには神の子であることも忘れて、外国人というと、かつて自分が生まれた国の子孫たちにも関わらず、まるで赤の他人扱いをしてしまう。

皆さまの多くは、ほとんど中国を経由して日本に生まれております。中国の文化も、皆さま心の中の意識のテープ・レコーダーには、輪廻転生の中に全部記録されております。それを日本は中国と戦争をした。考えてみれば肉体の子孫と喧嘩をしてきたことになるのです。あの世へ帰ったならば、ああ馬鹿馬鹿しかった、なぜ争いなどやったんだと、そのように思うでしょう。
心というものは、永遠に転生輪廻し、あらゆる国々を経てきているので、今生の僅か五、六十年の体験などホンの小さなものなのです。皆さま自身の過去に体験されてきたところの偉大なる智慧の宝庫が、潜在意識の九〇パーセントの中に記録されております。そういうものを涌現する道がこの般若心経の中に書かれております。

我々は心というものを本当に知ったならば、心は実在の世界に通じ、その実在界は光明に満ちた世界であり、神理を悟っているために生老病死の苦しみというものがないんだよと言っております。ゴーダマ・シッタルダーもイエス・キリストも、あの世とこの世の“神理”を悟り、この肉体を持っていても、あの世へ自由に行くことが出来るようになったのです。だから、肉体というものは、ただの途中の乗り舟にしか過ぎないということで永遠の輪廻から解脱しているのです。神理の境地というものを知っているために、もうすでに輪廻の苦しみから解脱しているということです。

(次号へ続く)


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GLA関西本部・高橋信次師講演会・・・・5

般若心経の解説(5)

(前号より)

イエス様はそんなことを教えなかった。途中の弟子たちがいろいろと考えなくてはならなかった。地球は板のようなもので、地平線の彼方からポンと新しい太陽が出てきて、スーッと落っこちてしまって、また明日になったら新しいのが出てくると考えていた。しかし何と説明しようと太陽は一つで、今日も昨日も変わっていない、同じ太陽である。
皆さんの魂も、ある時は中国に肉体を持って一生懸命に学んだ人や、或いはエジプトで、またフランスで、それぞれの国を転生輪廻してきて、今日、日本人として自分が日本の環境の中で肉体を持って生活しております。 その船頭さんである皆さんの魂は一つも変わっていないのです。ですから、魂は生まれることもなければ滅することもないという事実は、皆さんにもわかるはずです。エネルギー不滅の法則、質量不変の法則というのがございます。これと同じように我々の魂も永遠である。当然垢も付くこともない、清らかであり、増えることもなければ減ることもないのです。

さて次に、空中。つまり実在界は、無色無受想行識だ。皆さんの目で見ている五官というもの、あちらでは心の内面で見てまいりますから問題は少ない。この地上界についてもそれは言えるし、地上界的なものの考え方であってはいけませんというわけです。それゆえにこのような物質的な光景というもの、我々のこの地上界における原子というものを根本としたところのいわば物質的な光景はあの世にはない。実在界は光ですから当然こういう現象はないはずであります。
しかし、この地上界と同様に目や耳や鼻を通して見るような一つの想念と行為があれば、あの世は心の世界ですから、思えば即座に現象化されていきます。特に地獄界などは、心の中で思ったことが即座に現象化されます。それだけに恐ろしい世界です。
実在界においてもまた同じ、心で暗い想念を持つと即座に神の光はスーと消えていきますから、反省してしまいます。なぜ私は光が暗くなったのだろうか、反省していけばそこで直り、自分自身が神の心に調和させることによって神の光がパーと入りますから、元に復してしまいます。そのために人と人との間に嘘がない。嘘をついてもすぐわかってしまいます。便利です。しかし、この地上界でそうなると不幸が来ると思う人があるでしょう。ところが不幸は本当はないのです。争いや闘争や苦しみや悲しみや災難というものは、本来は起こらないのです。心がきれいな状態になってしまえばそこが実在界となり、当然、眼・耳・鼻・舌・身・意という煩悩というものも消えてしまいます。煩悩が消えるから、眼でいろいろな色彩を見たり、耳でいろいろなことを聞いたり、或いは鼻を通していろいろな匂いを感じたり、また舌で味を覚えたり、身で感触を持ったり、このようなものにも影響がなくなります。それはあくまで原始細胞というものを通して、今この地上的なものの考え方で見るから間違いが出てくるのです。心の実相というものは関係ないんだ、というわけです。

無限界乃至無意識界 あの世は我々の肉体だけで見るようなそんなちっぽけなものではないんだ。広い広いもっと大きな神の意識に基づいた光の光明に満ちた世界なんだ。それこそこの地上の想像を超えた世界であると言えます。それゆえ無無明亦。それこそ無明のない世界であり、明るいことを意味するが、無無明尽だから、その明るさの尽きるところがないということになりますね。これは中国特有の言葉であり、これはここの文句と合わせるための、いわば語呂合わせだったようです。生まれず滅せずといっても人間にはわからない。かえってしつこく言ったらなおわからないと思うのですが、それを有難がって拝んでいるお方はなお有難い人と言うことになりましょうか。

次に出て来るのが、乃至無老死 亦無老死尽。年をとったり死ぬこともないと言うことですが、それはそうでしょう。あの世へ行って死ぬ訳はないんですから。前節で不生不滅、生まれることも滅することもないと言っているのですから、我々があの世へ帰って死んじゃったといったらおかしいことですね。一回死んだら死ぬわけがないんで、死というものは肉体という形を見ているから死んだの生まれたのと皆んな言うんですが、魂は別にちょっとも痛くも痒くもないんです。

肉体という舟がこの地球上で沈没しちゃっても、その船頭さんは一つも変わっていないのです。だから我々は、年をとることもなければ死ぬこともないはずです。ですから、皆さんがあの世へ帰った時には、この世で年をとっていても、あの世に帰ったら三十か四十才くらいの人が多いんですよ。お年寄りの方に「おばあちゃん何歳になるの」と聞いたら「私は三十五才くらいだよ」なんてね。この前の講演の時に東京でしたけれども、七十八才にもなった人に年はどのくらいと聞いたら「私はまだ三十八、九才の気持ちです。」また隣の旦那さん、どうですか、と言ったら六十才くらいなのに「私はまだ二十五才くらいの気持ちです。」と、これは皆さま自身ね、年をとっていても決して自分は人には負けないつもりでいるんです。

(次号へ続く)





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GLA関西本部・高橋信次師講演会・・・・4

般若心経の解説(4)

(前号より)

実は皆さまも、毎日の生活の一秒一秒はあちらから皆見られているのです。それを知ったら全く自由はないのです。それが、肉体を持つ自分が自由ということをはき違えてなお苦しみをつくっています。死ぬ時には、いずれそれを自分が裁かなければならないのです。一つ大きな目的を持って出てきて、よし、今度こそは一つ悟って人々を救ってくるよと言って、救うどころではなく自分をも救われず、あの世へ帰ってしまう人が多いんです。そういう人は先ず地獄です。何百年間じっくり地獄で味わってくることです。それでは実際困ります。なぜならば、皆さまの魂の兄弟たちが困るからです。魂の兄弟のうち一人でも地獄に落ちてしまうと、この地上界に皆さまの魂のグループ、即ち、六親眷属は生まれてくることが出来ないのです。そうすると自分一人のために多くの人に迷惑をかけるということを知るべきです。

さて次に、色不異空、空不異色と出てきます。この場合の色というのは物質、我々の目に見えるところの物質、色、即ち色彩。赤、青、黄という色彩は何万色にも変わる、その何万色もある我々の、この地上界の万生万物は全て色彩を持っております。このように色とは万生万物を指します。
不異空ということは、異ならずということ。即ち、色と空は異ならないのだ、同じだということです。色は空に異ならず、空はまた色に異ならずというわけです。そうすると何だかちっともわからなくなる。そこへもってきて更にまた念を押すわけです。 色即是空と空即是色、しかしこれが重要なんです。この空という問題に、あるお坊さんは、この空さえ解ればもう悟りだなんて言っているんです。冗談じゃない、空がわかっても悟れないんです。空ということを知ったら実践しなければ駄目です。深く行わなければ駄目です。

そこでこのように物質というものは、実在界を通して、あの世を通して存在しているんだから、いわばこの地上界は実在界とは異ならない、同じだよ、変わってないんだ。しかもまた、あの世実在界は、この地上界とも異なってはいないんだよ、連続体だ。即ち、同じことを行っているから、生まれたり滅したりすることはないと説明しているわけです。そのために、異ならないからここで駄目押ししているわけですね。この地上界はあの世だよ。あの世即ちこの世だよ。当然同じ結果になるはずです。ただ次元が違うだけなんです。「あ」と「こ」の違いだけで、あとこを外したならば一つになってしまいます。あの世もこの世もそんな難しい世界ではなく、一転びなのですから、この理論というものは成り立つはずです。そこで仏教で言うところの〝色心不二〟ということもまた同じような姿を表しております。物理学でもこれは証明できますね。

そこでこのようなところから、受想行識 亦復如是 舎利子、また舎利子が出ておりますけれど、人に聞いたら、お釈迦様の骨のことをシャリって言うんだよ。このように答えているお坊さんがありました。
最近はシャリといったら米の飯のことを銀シャリと言っていますが、これもシャリに変わりないでしょう。米は肉体を保存するためのものですから、米を主食とする人々にとっては大事な食糧です。したがってお米は諸々の衆生にとって欠くことのできないものですね。シャリ・プトラーは人の名前ですが、般若心経の中では〝諸々の衆生よ〟ということですから、お米をシャリという語源は、案外ここから出たかもわかりませんね。(笑)
受想行識、即ち皆さまの想念と行為というものは実はこの地上界という場に出てしまうと、空即是色にもかかわらず、現象にとらわれ現象におぼれてしまって、常に堂々巡りを繰り返してしまう愚かなものだと、ここでは言っているのです。色即是空、空即是色といっても、現代のお坊さんでも物理や科学や医学というものを通して、自分が神理というものを実践してみないとこの問題は解けないのです。ここがわかれば受想行識も自然と理解されてくるわけです。そこで是諸法空相、このようにして一切の神理というものは、実在の実相を通し神の意志に基づいて作られているものだよ、と言うことになりますね。そこで、色即是空というものを私はよく声を大にして説明します。

皆さまの肉体は地上界に適応した人生航路の乗り舟である。この舟に乗っている船頭さんが、魂であり、意識であり、心なのです。その中心の心というものがまたどのようになっているかというと、我々の魂というものは不生不滅である。生まれず滅せずなのです。ですから、垢もない、浄ということもないのです。ですからその次に不増不減、増えず減らずとこうくるわけです。このように全てを否定しているように見えるけれども、実は大肯定なのです。心とはそのようなものなのです。
皆さまの魂というものは、あの世とこの世を転生輪廻してきております。太陽も今日の太陽と明日の太陽は一つも変わっていないのです。キリスト教の古い宗教の中には、地球は平面の板のようなものだと教えているようです。東の方から新しい太陽が出て、海の彼方に沈んで、また明日になると新しい太陽が出てきてまた沈むのだ。ところが文明が発達し、科学が発展するにしたがって、コペルニクスや、或いはガリレイたちは地動説を唱えて、地球はこのように回っているんだ、だから太陽は一つなんだと、いわゆる地球軌道説を唱えた。この説を強く主張したこれらの弟子たちは、世を惑わすということで首を切られて死んでおります。宗教というものは恐ろしいものです。

(次号へ続く)



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GLA関西本部・高橋信次師講演会・・・・3

般若心経の解説(3)

(前号より)

今、皆さまのなかに、私の神理を聞いた人々の中から、シュバラーに近い状態になる人が出始めております。私の講演が終わったのちにその人たちの心に光を入れれば、波羅蜜多の偉大なるその智慧、潜在された、内在された過去に学んできたところの自分自身の体験が、今の肉体を持った人を通して語り始めます。菩薩とは、ボサターを言うのですから、まだボサッとしているところがある。だから、菩薩と言っても決してまだ立派なものではありません。
そこで、観自在菩薩と言われるようには、神理に適うよう行ずるのですが、大抵は間違いを犯してしまう場合が多いのです。行深と言うと行を深くするということになる。そこでハァ行をするというんだから、山の中に入って滝にでも打たれ、厳しい肉体的な修行をすることによって悟り得るんだなあーと。それには、この魔訶般若波羅蜜多を一生懸命に上げればよいんだなあーと、こう思ってしまって、金剛杖か何かを持って観自在菩薩、行深般若波羅蜜多と言って、厳しい肉体行をしていく、そのうちに心がカラッポになったところへ動物霊か何かが入ってくる。すると、その人に入った動物霊が出て、ついに神様が出て来たなんていうことになって稲荷大明神が一つ出来上がるわけです。そういうことをよく考えると、この行深という意味が非常に重要な意味を持ってくるのです。

行深ということは、神理に適った毎日の生活、これを深く行う。そうすると智慧の波羅蜜多が涌現されてくる。この波羅蜜多という内在された自分の心を涌現する、思い出すには、まず中道の神理に適した生活をしなかったならば、心の中に曇りが出てしまって神の光を遮ってしまいます。遮ってしまうから、暗い心に閉ざされるからあの世とは通じません。あの世と通じないから凡人です。明日の事も目先の事もわからなくなってしまいます。そこで自分の心の中がきれいであれば光が差し込んでまいります。そういう生活をすることが一番重要であり、深く行ずることなのです。そこで般若波羅蜜多時、悟りに到達するために深く自分自身がそういう生活をした時に、観自在菩薩、つまり自由自在に見ることが出来るのです。

五蘊皆空度一切苦厄舎利子  。ここで苦厄というのは、苦しみや災難。それはここでいう五蘊という皆さまの目や耳や鼻や口、肉体の五官を通してそのような苦しみが出てくるのです。その苦しみも、実は五官から生ずる六根のため神の光を遮ってしまうので、我々はそのような苦しみを作ってしまうということを観自在菩薩はよくわかっております。しみを作ってしまうということを観自在菩薩はよくわかっております。舎利子というのはシャリー・プトラー。これを日本でいうと舎利弗。インドの時代はシャーリ・プトラーと言っております。
このシャーリ・プトラーという人は、ゴーダマ・シッタルダーが四十二才の頃にデンドーナーというところへ訪ねてきたアサンジャーといわれる大婆羅門の従兄弟です。その友達にマハー・モンガラナー(大目蓮)という男がおりました。この人は理論的にも多くの神理を説くことができ、ゴーダマ・シッタルダーも重用しました。何れにせよ、シャーリ・プトラーは97、8才でこの世を去りました。

ここではシャーリ・プトラーは弟子に対する一つの代名詞のようなものなので、舎利子とは諸々の衆生よ、ということになり、偉大なる般若波羅蜜多という悟りの境地は、観自在菩薩という自由自在に見ることの出来る境地であり、あの世もこの世もアボロキティ・シュバラーという方は、この地上界とあの世、そしてまた未来、皆さまの過去と現在と未来、これらのものを自由自在に見ることの出来る悟られた方であるということを舎利子に言っているのです。また、苦しみ悲しみをつくる五官を通した六根にほんろうされてはならない。もともと六根というものは実体のないものであり、これにとらわれるから不幸を作るのであり、これらから遠離しなければならない。わかったか舎利子よ、ということも合わせて言っています。

次に、この皆空、一切は空であるという。空というのは、あの世のことを言っております。実在界あの世、あの世というのは実際にものが実在する世界で、そのあの世からこの地上界に投影されている世界、あの世からの映写機で、いわば幕を透してこの三次元という世界に宇宙というものが投影されていて、しかも立体モーションピクチャーであの世から操られているわけです。
操られて皆さまは生活しているにもかかわらず、その操り人形が勝手な行動をしてしまうから、いろいろと問題が出てきてしまうわけです。五蘊という目や耳や鼻や舌を通して、皆さまは嫌なことを聞くと、つい頭にきてしまったり、感情的になってしまったりして、自分で苦しみや災難を作ってしまうのです。そうなってまいりますと、私たちはそのような操られていることに対して反省をすることによって、我々はなんでこのような苦しみや災難が起こるのかということが自分でよくわかるはずです。それもしないで、自分の苦しみだけを他人のせいにしたり、生活環境を妬んだり、恨んでしまったりするのです。また、その操られている者が、つい生命を持っているから自分勝手な方向へ行ってしまう。
そこで、あちらの人はどうするんだろうと言っているわけなんです。

(次号へ続く)


園頭広周師の過去世は、お釈迦様の十大弟子一番・舎利弗でした・・・・
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GLA関西本部・高橋信次師講演会・・・・2

般若心経の解説(2)

(前号より)

この般若心経というのは、過日も説明いたしましたが、日本へ伝わってきてからは、いつの間にか仏壇や神様の前で上げるものになってしまいました。また、清書(写経)して何回も書くことによって悟り得るという馬鹿げたものになってしまいました。字は上手になりますが、しかしそれで悟れるものではないのです。その意味をよく知った生活をすることなのです。皆さんは法華経を今まで学んできました。南無妙法蓮華経とお経を上げて参りました。あれはやはり方便を通して人間はかくあるべきだ、人間の心はこういうものだ、これを説いたものなのです。

インドのゴーダマ・シッタルダーの時代は、決して南無妙法蓮華経も上げておりませんし、南無阿弥陀仏も上げておりません。ただ、その意味をよく理解した生活をして、人間の価値、生まれてきた目的と使命、このようなものを教えたのに過ぎないのであります。決して経文を上げろということはやっていません。
第一、当時の多くの弟子たちは無学文盲です。文字など書けるような人は非常に少なかった。クシャトリヤという武士階級の中において、婆羅門をやっている人たちの多くは、一応は学問をしております。寺子屋のようなところで婆羅門を中心とした一つの経典を主体とした教えを学んでおります。その当時の文字も、仏教でいう梵字というのがありますが、それとはまるっきり違います。そのようなことを考えたならば、般若心経を上げたり書いたりすることが、悟りへの道だとは思えないはずです。
しかし、こういう般若心経というものを知ることによって、なるほど、仏教は科学であり、現代物理学の最極微を究めた神理であるということがわかるはずです。

摩訶般若波羅蜜多心経。観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子

棒読みするとまるっきりわからない。この前にも説明いたしましたように、摩訶とは偉大、当時はマハーと言いました。マハー・パジャパティー、また、皆さまの現在の会長様も、マハー・ナマといって偉大なるナマと言われた方です。ナマという名前でカピラ・ヴァーストのシュット・ダナーの四番目の弟さん、その弟さんの長男、その方をマハー・ナマと言いました。その弟をアニルッターと言います。アニルッターと言われる方は、ゴーダマ・シッタルダーの十大弟子のアナリツ。このアナリツの兄さんが今の中谷会長であります。それはそのうちに、皆さんの中から霊道者が大分出てきておられますから証明されるでしょう。また別のところからそのような証明者が出て参ります。これだけは否定できないのであります。とにかく、そのようにマハーというのは偉大ということです。

般若というのは智慧ということです。波羅蜜多ということは、到達するということです。そしてしかも彼岸に到達するまでには、自分に内在されているところの潜在意識の偉大なる智慧、この智慧に到達するいわば心の教え、心経はインド時代は、ストラーと言っております。悟りへの道。ところが中国人はなかなか頭がよく、うまく語呂と意を合わせています。摩訶般若波羅蜜多心経の摩訶とは、また大いに不思議という意味もあり、摩訶不思議とも言います、あの摩訶です。摩訶般若の般若と言うのはほとんどの人は般若の面ぐらいしか思い出しませんが、当時のインドではこの偉大なる智慧を蜜多とも言いました。というのは、当時のインドでは蜂蜜というのは非常に貴重なもので、そう採れなかった。蜂蜜を採るには、蜂蜜を探す鳥がおりまして、その鳥に赤い布を付けて飛ばし、蜂の巣を見つけて蜜を採るのです。こうした事を商売にしていた人もいました。特に仏教教団の場合は、蜂蜜は高貴薬のようなものでした。そのためによく薬王菩薩とか薬師如来が左の手に壺を持っており、これも実は蜜の壺、女王蜂の園から取り出して作られたところのローヤル・ゼリー、不老長寿の薬として持っていたものです。
そのように、蜜というものは非常に高貴薬であるということから、心の中の内在されている分野にはそのような高貴薬のような偉大なものがあるんだよ。即ち、偉大なる智慧、内在している偉大なる智慧に到達する心の教え。このように摩訶般若波羅蜜多という意味は、つけられても結構だと思います。

観自在菩薩、この観自在菩薩というのは、これもまた中国流に訳しております。漢字で読んで字の通り、自在にものを見る菩薩。皆さまの中には菩薩と言えば、ああ立派な偉い神様だと思っているでしょう。菩薩というのはインドの当時は、サマナー、サロモン、アラハン、ボサター、その次がプッターといって、それは悟りの段階を指すのです。観世音菩薩像を見ますと、必ずネックレスをはめたり王冠を付けております。また、文殊菩薩・マンチュリァーもやはり王冠をかむっております。このように王冠等飾り付けているうちは、執着があるということなのです。そうすると未だ菩薩は悟り得ぬ段階なのです。そこで観世音菩薩といわれるものは、ゴーダマ・シッタルダーが今から二千五百有余年前のヴェダーとかウパニシャドという現代の日本の仏典、教典と同じようなものがありまして、その中に書き込まれているものなのです。自由自在に見ることの出来る菩薩、本来は如来を指しているのであり、これをアボロキティ・シュバラーとも言っております。

(次号へ続く)





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